CIANA

マッサージ情報関連サイト「シアナ」

MAIL MAGAZINE

記事&ニュース

『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法』刊行記念イベント前の「小話」
2018.06.13

5月16日、『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法―アレクサンダー・テクニークで息を調律する―』の発刊記念イベントが、東京都・青山ブックセンター本店にて開催され、約50名の方に参加いただきました。

本イベントは監訳を務めた稲葉俊郎先生(東京大学医学部付属病院 循環器内科助教)と、ボーカリストでアレクサンダー・テクニークの教師の鈴木重子さんが登壇し、対談とワークショップが行われました。

事前の打ち合せでも、「呼吸の大切さ」について、大変興味深いお話をされていたお二人。その一部を公開します。


健康・命との向き合い方

(稲葉先生の西洋・東洋医学の垣根を越えて盛り立てたいという活動理念の話題から)

編集T―――稲葉先生は臨床でご多忙のなか、精力的に活動されていて本当に尊敬です。

稲葉:レコードを聞くことが僕自身の治療に近いんですよ。家に帰ったらまず息継ぎのように、毎日レコードを聞いてます。病院は音がないんです。「音を流したらクレームが来る」「不快に感じる人がいる」という理由だと聞いています。そうすると、結局「誰にも害のない音」、つまり、無音になってしまうんです。消極的な理由です。巨大な施設になるといろんな人が関係しているので、なにかあると誰も責任をとりたくないですから。病院で音楽って流れてないでしょう。

鈴木:お医者さんにこのようなことを言っては失礼かもしれませんが……病院の空間って、そこで病気を治そうとしている方にとって必ずしも豊かで良い環境か? というと難しいものがありますよね。医療を提供する場としては仕方がないことかもしれませんが。

稲葉:効率化や、大量生産、大量消費型社会のシステムをそのまま転用しているだけなんだと思います。元々僕が西洋医学以外の医療に興味を持ったのは実はそこにあるんです。医療者自身の健康のためには、西洋医学以外のものにも可能性があるのでは、と思ったんです。「西洋医学以外の医療で治療する」ということ以上に、プロの医療者たちも自分自身がしっかり安定していないと、良い医療は提供できないわけですから。

鈴木:お医者さん自身の健康の全体性というか、どうやって生きて、どう命と向き合うかについての意識とか…それは医療に向き合う源みたいなものってどうしても繋がってきますよね。

稲葉:本職になればなるほど、そういうところをどうしても軽視してしまうところがありますよね。「自分はプロだからそんなのわかっとるワイ!余計なお世話!」みたいな(笑)。
そのあたりはね、僕はもっと体や心や命に関して常に学び続けるという姿勢が大切だと思うんですよね。

鈴木:こういった「命」という大きなテーマなど、わからないことを考えるときにいつも思い出すことがありまして。

あるとき私のアレクサンダーテクニークの恩師に、「頭と脊椎の関係がわからない」と泣きついたことがあったんですね。その時先生は、「あのね、頭と脊椎の関係っていうものは、私たちよりもずっと大きな存在なの。だからわかるわけがなくて、わからくて大丈夫」っておっしゃったんです。

つまり、先生は、「わかっていることを生徒に教えよう」ではないんですよ。わからない、それそのものを信頼しているから、生徒にもそう伝える。「信頼をできること」。それが、ある意味アレクサンダーテクニーク教師の資格でもあるんです。

稲葉:医療の本質って、そういうことだと思います。

当然、病院には、のっぴきならない人も来ます。いろいろな難病だったり……「もうどう考えても手がないだろう」という状態もあります。そういうときにどう向き合うのか。僕が考える「プロか、プロじゃないか」の違いは、「ほぼ可能性がないと思われる闇のなかでも、いつか一瞬でも差し込む一筋の光があることを知っているかどうか、その可能性を強く信じているかどうか」ってことだと思っています。

闇の中でも可能性を強く信じているから、頑張れるし、支えることができる。そういうことが実は一番大切なんじゃないか、って思います。


青山ブックセンター本店で開催されたイベントの様子

 

魂を導く旋律

鈴木:昨年、私の父が亡くなりまして。病院で亡くなったんですが。

その時、亡くなるまでの最後の3日間と、亡くなってから3日間、ずっと父の耳元で歌を歌っていたんですよ。

天国で父は「ほんとにうるさかった!」とか言ってたかもしれませんが(笑)。

編集T――それはすごいお話ですね。亡くなる前だけでなく、亡くなってからの3日間も歌われていたんですか?

鈴木:……私ね、どうにも、まだ、「何か」が残ってる気がして仕方がなくて。人の存在って、身体だけではないので。私は、「3日かかった」と思いました、何が3日かかったのかは明確には言えないのですが。

体温が下がって、酸素がなくなって、脳のはたらきが落ちて行って、完全に働かなくなるまでにある程度は時間がかかると思うんですが。そういった間、「私が歌うことに意味があるんじゃないか」と思ったんです。

稲葉:曲は何を歌っていたんですか?

鈴木:意識があるときは、父が好きなビートルズをアカペラで歌ってたんです。

亡くなってからはですね……、父の身体に手を触れていると、こう、子守唄っていうか……讃美歌っていうか、そういったメロディーが自然と伝わってきて。その感じたメロディをずっと、本当に感じるままに歌っていたんです。

稲葉:何かの曲というわけではなく?

鈴木:そうなんです。

稲葉:それは聞きたいですね、どんな旋律なんだろう。

鈴木:そのメロディは、その人がそこにいないと、出てこないメロディでしょうね。

稲葉:チベットの死者の書も、亡くなるときに歌うものですよね。向こうの世界に行くためのガイドというか。内容もそういうあちらの世界とこちらの世界の橋渡しのような詩が入っていますけど。でも、一番大切なのは言葉や音の意味ではないんでしょうね。音や響きそのものというか。

鈴木:私が父から感じたメロディは「父の存在の響き」なんです。だから、それを父に歌って聞かせることで、どこかうろうろしないように、確実にあの世の扉の前まで連れて行こうと……。

でもそのガイドになっているものって、父自身の存在のことで。別に、私が教えるとかそういうものではないんです、そもそも。彼はそこから出てきてそこに帰っていくわけですよね。だからメロディが聞こえたら、迷わずラインに沿って行けるだろうという……

その時はそんなこと考えて歌ってわけじゃないんですけどね(笑)。

 

存在の根源に立ち還る

鈴木:そうやって過ごした6日間から、「人の生と死」っていうのは、ここからが死で、ここからが生、という分断されたものではなく、「生まれて、死ぬ」という大きいサイクルその全部が「いのち」っていうんだなと。それを、ものすごく身体で納得しました。

そのなかにあって、「呼吸」と言うのは、潮の満ち引きみたいなものなのかな…と。

先生も書籍の冒頭で「息を引き取る」と言う表現も書いていらっしゃいましたよね。

稲葉:僕ね、本当に、実感としてあるんですよ。「息を引き取る」っていう行為が大事っていうことが……お看取りの時、その瞬間に空間が変わる感じがしますよね。

あとは、ユング心理学のミンデルが創始した「コーマワーク」という昏睡状態の方とコミュニケーションするワークもありますが、実際それともすごく近いですよ。

鈴木:意識のない方と会話をするっていうのは不思議なことですよね。多分、脳の外側の部分ってあんまり働かなくなってくるから、もっと、内側の原始的な部分のはたらきなどで同調したりすると思うんですけど…。

稲葉:「存在そのもの」ってことですよね。

鈴木:父の死をもって、私が強く思ったことは、結局父が自分の人生として持って帰ることができるのは、「父が自分の人生をどう経験したか」という感触だけなんですよね。私は亡くなるその瞬間も立ち会ったので、本当に「存在の根源に還る」っていう、それだけしかないんだ、って気が付いたんです。お金も地位も、ありとあらゆるもの……決して持って帰れないんですよ。

その人生の経験だけを持って帰ったとき、きっと天国には慈悲深い存在がいて、どんな楽しかったことも悲しかったことも、失敗談も成功談もなにもかも「大変だったね」って聞いてくれるんだろうなって考えて……。その時、「あぁ人生って、何でもいいんだ」と思いましたね。

もちろん「よく生きる」ことに越したことはないんですが、「がんばったけど失敗しちゃった」とか、「道半ばで終わっちゃった」とか、それで最終的にはいいんだとしたら、じゃあ心からやりたいことをやって、人生を生きた方がいいな、って。

人が亡くなることって、「人生の意味がなんなのか」を考えさせられる経験ですよね。

稲葉:そう意味で、その経験は、重子さんがボーカリストの道に進んだことともリンクしてくるんでしょうね。内奥にある存在そのものから発された声に導かれるようにして。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 

イベントに関する稲葉俊郎先生のブログ記事はこちら↓
ヴォーカリスト鈴木重子さんと 

『身体のデザインに合わせた自然な呼吸法―アレクサンダー・テクニークで息を調律する―』
著者:リチャード・ブレナン
監訳:稲葉俊郎
仕様:B5判/オールカラー/144ページ
定価 本体2,400 円+税